万歳とは

烏帽子に素袍を着た太夫が、才蔵の打つ鼓に合わせて、 かけあいで、
めでたい文句をとなえ歌い舞えば、歌のとおりになる、と信じる予祝の芸(祝福芸の一つ)をいいます。
古くは800年前、大和国(現在の奈良県)の祈祷師が、京の宮中へ出かける千秋万歳が知られています。



三河万歳の歴史

戦国時代には、別所(現在の安城市東別所町・西別所町)の祈祷師が安祥城(現安城町)の松平氏(徳川将軍家の先祖)のもとで、先勝祈願などの祈祷をしていました。それは家康の頃には、祈祷に加えて物語を語りながら舞うことから「舞々」とよばれました。

江戸時代になると、三河の祈祷師たちは正月に江戸へ出かけ、三河と縁のある武家など(檀那場)を回るようになりました。その内容も宮中にならった万歳に変化し、これが武家の間でもてはやされると、万歳師の出身地にちなんで「三河万歳」と呼ばれました。江戸時代後半の万歳の多くは、家々の門や玄関で舞う「門付け万歳」でしたが、三河万歳は檀那場で舞う「座敷万歳」をすることが特徴でした。

ところが、近代国家建設をめざす明治政府は、昔ながらの占いや祈祷をする万歳を禁じました。そこで三河の万歳師は、明治政府がすすめる神道の形をとり、唱える言葉や服装を神主風に変えました。

  ▲万歳図(東雲斎画)